「君の名は。」を観てきました。(ネタバレ有)
過去作品は
「秒速5センチメートル」と、
「言の葉の庭」
本作はメディアで大々的に取りあげられていたため、なんとなくの情報はだいぶ前からインプットされていました。
新海さんの作品における従来の登場人物はどこか物憂げな表情をしていたため、
本作の登場人物のビジュアルを目にしたときは少し驚きましたが。
実際作品を観てみると内容もガラッと変わっており、いかにも大衆受けしそうな作品という印象を受けました。あくまで従来作品との相対評価ですが。
他の方のレビューは読んでいないのですが、僕は今回の変化に対して好意的です。
従来作品の登場人物は高潔すぎてリアリティに欠けていました。
肝心なところでニヒリズムに浸ってしまい、望んだものに必死に手を伸ばさない自分をなんの葛藤もなく自己欺瞞によって納得しようとしている。そんな風に感じていました。
本作では三葉の中で覚醒した瀧が胸を何度も揉んでしまうシーンが繰り返されますが、
あれは人間の欲望を真正面から肯定していて清々しかったです。
あのシチュエーション、揉まないやつはどうかしてる。
俺は揉むぞ!!!!!!
人間の欲求に対する向き合い方から変なクセが取れた点が良かったです。
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次はティアマト彗星について。
作品の宣伝で象徴的に描かれていた彗星。
「ワーキレイー」
くらいのイメージで視聴したので例のシーンには驚きました
美しさに目が眩んでいただけに。
物語において、中盤から後半にかけて如何に世界をぶっ壊すかが重要なポイントになっていますが、本作はこの点が素晴らしかったですね。
あのシーンの後に再び映る流星を見たとき、
「美しさを纏った破壊が宙から飛来してきた」
そんな言葉が僕の中に浮かび上がりました。
美しさと恐怖という相反する属性が併せ持った流星が、僕の目にはどうしようもなく蠱惑的に映りました。
触れてはいけない。だけど触りたい。そんな揺れるような欲求ってなんか、いいよね…(流し目
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物語について(記憶違いがあるかもしれません)
映画を見た日の深夜に布団に入りながらスマホでメモをとって復習しました。
そして間もなく気が付いたんですが、矛盾が結構目につくレベルで放置されてますよね。
世界線が過去と現在の2本あると思うのですが、
そうすると現在の世界線はもう救えず、三葉と入れ替わっていた瀧君は三葉のいない世界で生きていくことになりますよね。
つまり三葉が生存するルートに導かれた、過去の世界線における瀧くんは「紐」を受け取った以外は三葉と接点がないことになる。
なのに就活中に奥寺先輩と会ったとき、
「昔、糸森まで行った」
的な話をしてて、いやいやそれは現在の世界線の瀧くんじゃなきゃおかしいだろ、と。
お前紐と名前だけで三葉の故郷特定したのかよ、と。
そのモチベーションはどこからきたんだよ、と。
物語で度々語られていた「結び」の設定でそのあたりねじ伏せることも可能なのかなとは思うのですが、気になってしまいました。
でもまぁここで言いたいのは、「物語ってある程度の破綻も許容できるほど他で補えるんだな」ということ。そういう可能性が見えて面白かった、という点なんですよね。
創作って自由だなって。
破綻の無い物語が破綻のある物語より優れているとは限らない。
今回はそれがすっと腑に落ちた感じ。
創作というものの自由闊達さが感じられてとても気持ちの良い映画でした。